糞糞糞ネット弁慶

読んだ論文についてメモを書きます.趣味の話は http://repose.hatenablog.com

「放置系ブラック研究室で楽しく生きるにあたって」の補足

これは放置系ブラック研究室で楽しく生きるにあたって - 糞ネット弁慶の補足である.

書いた目的

放置系研究室の存在を世に知らしめたかった

そもそも一般的な院生に対して放置系の話をすると全くと言っていいほど通じない.意識高い他大学院生と話していても

意識高い他大学院生(略称:意識高):「修論どうですか?」
私:「や,全然やってないんですけど.」
意識高:「あー,これまでの研究をまとめて修論にしちゃう感じですか?凄いなー.」
私:「え,だから論文とか本当に書いてないんですけど.まだテーマも決まってないし.」
意識高:「またまた〜そんなこと言って出してるんでしょ?ところで次の***(学会名)出します?」
私:「(***ってそもそも何だ……知らないとか言っても通じないだろうし……)や,出さないですね.」
意識高:「そうなんですか.僕なんか***と△△△と◯◯◯出さなきゃいけなくて本当に忙しいし,それが終わればあとは……(以下続く)」
私:「(おれのしってるだいがくいんとはちがう……)」

などという流れになるのを私は数えきれないほど体験してきた.彼らには「研究を殆ど行わない研究室がある」という事実すら認識してもらえないのである.この非対称性,ディスコミュニケーションを埋めるにはあのように事実を脚色すること無く(実際はあれ以上のものもあるが)書くしか無いと考え,ブログにて公開した,

現在放置系な人に少しでも役に立てばと思った

私はid:syou6162やDBCLSの人々の助けによってなんとか自分でどうにかする方法を考え実践する事ができた.しかし,現在放置系に所属している人は恐らくそのようなリソースもなく(放置系とは総じて上下の人的リソースも不足し,またこれは悪化の原因となっている),「何か行動を起こそうにも何をどのようにすればいいのかわからない」状態であることが考えられたので,そのような人に少しでも役に立てばと思い書くに至った.

言いたかった事三行まとめ

  • 大学院にはガチ放置な研究室があり,メリットとデメリットがある
  • 放置系はメリットを活かせば(人によるかもしれないが)楽しく過ごす事ができる
  • 自分は放置系で非常に楽しく,充実した大学院生活(≠研究室生活)を過ごすことができた

その他

何故進学したのか.大学院or研究室を変えるべきではなかったのか

私はそもそも外部院の院試に落ちた.落ちた際私は見事にひがみ根性と「すっぱい葡萄」から「ならばいっそのこと,この自由な研究室で自分の目標を満たすべきだ」と開き直った.よって研究室を変える事無く大学院に進学した.

この馬鹿は何のために進学したのか.目標を考えていたのか.

進学当時は言語化出来なかったが,今になって振り返ると大学院生活での目標は

  • 自分で面白そうな(現象|論文|モデル|サービス)を探し,それを自分の力で理解できるようになる
  • 少しはプログラムが書けるようになる

であった.そう考えると目標の達成度合いは別にしてもどうにか少しは満たせたのではないかと考える.
少なくとも「現状の自分のレベルであれば,まだ自分一人でどうにか学ぶことが出来る」という姿勢は身についた.

研究室生活がそんなに不満なのか.

そうではない.「研究室で指導を受けることがなかった」「ガリガリ論文を書く環境ではなかった」という意味では不満があるが,自由にさせてくださったボスには非常に感謝をしているし尊敬もしている.この欲求は相反するものであり,ないものねだりであることは十分承知のうえである.

全然「楽しく生き」たとは思えないんだけど

実際大学院生活は楽しかったし,やりたい事も色々とできた.しかし

  1. あまり「こういう活動に励んで楽しかったぜヒャッハー」と書きすぎるのは誰の徳にもならない.「環境なんて言い訳だ努力努力努力努力努力努力」となることだけは避けたかった
  2. 「放置系は自由で色々できる」と強調しすぎるのは,研究が行えない事への引け目,実績を積み重ねている学生への嫉妬,負け犬の遠吠え,研究を行っている平均的な院生に対するすっぱい葡萄としか見られないのではないか

という点を恐れたため,なるべく自分の体験談を書かぬようにした.よって先の記事では楽しさが伝わらなかったというよりもなるべく楽しさを伝えなかった.